不具合事例研究

調査研究の過程で、様々な組織のシステムの不具合を発見することがあります。我々の目的は個人情報保護やセキュリティの確保にあるので、これと直接関係ない不具合への対応は優先度が低く、見過ごすままになることもしばしばです。

本来の活動について公開できることはほとんどないのですが、代わりにこのような脇道での発見例をご紹介します。

具体的な固有名詞や数値は仮のものとし、状況もぼかして置き換えます。

官庁と金融機関間の調整不足

海洋庁「ミカン島振興に関する事務はレモン銀行が担っていて、1回に100億まで対応可能です。」

レモン銀行「海洋庁様関係の事務は1回に1千万円までとさせていただいています。」

矛盾する両者に調整を促しました。一週間ほどして、レモン銀行から100億まで対応するとの返答を口頭で得ました。しかし、対応変更に関する公式の広報や報道は行われませんでした。

なお、この事務遂行には時限が設定されていて、残り時間の少ない時点での歩み寄りでした。状況からみて、事務を依頼する側の民間第三者側からは外部に公表できない事例です。ということは、我々の関与以前に何らかの事故が既に発生していたとしても、情報共有がなされていない心配もあります。仮にそのような事故があった場合(透明性が全くなくて発生していいたかどうか全く不明です)、無実無垢の事務発生元の方々だけが責任を負ってどこにも相談や公表ができないこともあり得ます。

法律上の努力義務の未達

リンゴの普及加速は世界的な潮流です。日本でも近年法律が定められ、リンゴ好きを宣言した市民の通帳にはリンゴマークを入れることが金融機関の努力義務とされました。

我々のうちでリンゴ好きの国家認証を得た者が、モモ銀行でリンゴ好きを宣言してみました。しかしモモ銀行は通帳をピンク一色のものしか準備していません。

努力義務ではあるものの、金融庁の担当部局が専門の相談窓口まで設立し、広報パンフレットも制作配布して業界に徹底を求めている事項です。リンゴ業界団体、金融庁担当部局、モモ銀行のコンプライアンス部門の各所に連絡してみましたが、解決しません。一応は三者の間で一定の情報交換が行われた気配はあり、後日追加の情報提供を我々に求められ、複数回のやりとりをしました。それでも、結果としてはモモ銀行の通帳にリンゴマークが入るには至っていません。

担当部局に報告ができない

「大人ゲーム年鑑」といえば、本屋で平積みにされるほど人気の書籍です。表紙ぐらいは一度はどなたもご覧になったことがあるでしょう。

その本の見返しページに目立つように、以下のような告知がありました。

料理ゲームに関する情報をお持ちの方は、当編集部内の料理研究会03-987-654-321にお電話ください。

料理ゲームについての情報が手元にあったので実際に連絡してみました。すると、電話口の相手はあからさまに困惑し、

「そのような会はこちらにはありませんが…」

という答えが返ってきました。先方自身による告知内容を伝えてしばらくの期間待って、ようやくご担当者様と連絡がつきました。

自分たちのシステムに興味を持っていない

音楽庁の楽曲くつろぎ度システムに問題があり、法律政令省令通りに計算できなくなっていました。音楽庁に連絡すると

音楽庁:「我々のシステムは国民の便宜のために公開はしていますが、あくまで参照や補助のためなんです。正確性や可用性を100%保証するものではありません。正確な計算をするのは、専らに国民側の義務です。手計算や専門家に依頼するなど、別の手段で正確な値を提出してください。」

我々:「実は不具合の再現方法を調べました。原因はウクレレのライブラリとも判明しています。詳細をご報告申し上げたいので担当部署につないでいただけませんか?」

音楽庁:「当窓口は楽曲くつろぎ度見積もり方法に関するお問い合わせ窓口です。システムに関することは開発会社に全てお任せしていて、当窓口では対応しかねます。」

我々:(ここは実際のやり取りの言葉のママ)「ご自身のシステムの問題なのに興味をお持ちではないのですか?」

音楽庁(実際のやりとりのママ):「興味ありません。」

書式や記入要項が誤っている

書類に記入規則が細かく指定されているというのは日本ではよくあることです。官庁なら日常的ですし、民間企業でも規模の大小によらずどこでも見かけます。

標準的な書式としてExcelやWordやPDFのテンプレートファイルが準備されていることもよくあります。ところが、そうした公式の標準的なファイルの入力欄には、様々な入力制限がかかっていることが多く、これがその組織自身が定めた書式と矛盾するということも起きます。

例外的入力ルール、例えば「法13条適用時は数字の後に(13)と必ず追記のこと」というようなものを見つけると緊張します。実際、対応するExcelフォームに(13)と入力しようとすると、その欄には数字以外のもの()は入力できないといった事故がよく起きています。コロナ禍以降のWeb申請・電子的申請の広がりで、こうしたケースの発見例が相当に増大しました。

pdf formfield validation error
入力フィールドに安易に文字種別の制限がつけられたために、ルールに沿った申請を妨げてしまうことがある。

法律が関係する場合は深刻です。提出が義務付けられている官庁向け書類で規則通りに記述することが許されないと、事務が行き詰ってしまいます。

そして、公式のファイルを使うと正しく入力ができないことを報告しようとする時ほど高い割合で、前の節の「担当部局に報告ができない」あるいは「自分たちのシステムに興味を持っていない」のような事態に陥ります。袋小路、あるいはマーフィーの法則を想起します。

寄付が契約の一種であるなら

高額の寄付が報道の対象となることがあります。政治家との間の寄付が問題視されたりすることもあります。匿名か記名か、その理由を探るひともいます。なぜ寄付というのはこうも耳目を惹くのでしょう?

使ってこそのお金

お金というものは、それ自体が役に立つというよりも、何か他の事物に交換できるから意味があるのだと思います。いわゆる交換価値ですね。もちろん日々のキャベツの値段の上がり下がりを見るような価値基準であったり、使い切れないお米を市場で売って将来買い戻して使うというような価値保存の役割というのもあることでしょう。しかし

「使ってこそのお金」

であって、棺桶の中で価値保存したつもりだった札束を抱えてみても、そこに何ら価値が感じられないことが予想できます。棺桶一年前の病院で鮨に交換して食べるとか、棺桶三年前の歩けた時に飛行機代に交換して南の島に旅行しておくべきだったのです。

さて、お金が有限で、しかも結局何かに交換するさだめとするなら、それは一種の資源とみてよいでしょう。ただし、石油とかお米とかと違って、液体だとか粒だとかそいういう性質は捨象されて価値だけが残っています。石油やお米と同じで、大事に使わなければなりません。しかし訓練をしなければ効率よくお金を使うことは難しいです。多くの一般市民は10万円を楽しく使い切ることはできるでしょう。しかし、10万円×1億人=10 億円を渡されたときに、自分と同じ市井の人々一億人に同じような楽しさを配分するような使途を実現することはなかなかできないものです。子供の高額のお年玉を親が一旦預かり、使い方がわかる歳になってから渡すというのも一般的なことでしょう。

自分よりも有効に使える人に資源の使用を委託するというのは、賢い考えだと思います。

寄付は約束

寄付の話に戻りますと、自分のお金を単にどこか別な場所に移動しただけなら、それはお米をどこか公園に放置したのと同じで、何の意味もありません。高齢者施設や給食センターに事前に話をつけて、引き渡し方法や用途を事前に相談して渡すのではないでしょうか。そこには。困っている人の役に立ちたいとか、食品ロスを減らしたいとか、暗黙のあるいは明白な意図が多かれ少なかれあるのです。

寄付というのは、寄付する側が意識するしないに関わらず、相手があっての行動です。

  • ある主体(個人法人団体)が企図を持ち、
  • 寄付を受ける他の主体という相手方がおり、
  • 寄付する側は他企図を念頭に資源の使途を委譲あるいは指図する。
  • 寄付を受ける側は陽な用途の指示を受けたり、それがなくてもルール(明文・暗黙・双方が共有する社会規範)のもとでの行動をとる。

のならばそれは約束事(契約)です。

約束事というのに違和感があるかもしれませんが、約束でないならば、他の主体が企図を外れた使用を行っても何ら文句は言えません。使途を限定しない寄付というのもよくありますが、これは寄付先の主体の特性を鑑みて「使途は限定しない」と定めたのであり、約束事の一つです。孤児院に対して自由に使ってくださいと寄付することはあるでしょうが、その孤児院が暴力団による経営で、理事へと使用管理が再委任されて「自由に」使っていたらどう感じるでしょうか。常識による孤児院の活動範囲の想定が寄付する側にはちゃんとあって、全くの自由なわけではないのです。最初から本当に全く使途の限定がないような種類の企図であれば、その企図にそぐう誰かを探して頼むようなことはせず、自分で札束をゴミとして出すのが最も効率が良いです。これでも企図通りの使用でなんの文句もないはずです。

ラーメン屋さんで食事をする際には、客と店の双方が明文・暗黙のルールに従うことが期待されていて、双方の間には契約が存在します。実際に裁判所が法(明文法・商習慣・社会通念)に基づいてその暗黙の契約に基づき判決を出すこともあるでしょう。これと同じで、寄付も契約なのです。

一般常識や社会通念として現在考えられているところでは、寄付や譲渡は、相手がその内容を認知しないと成り立たないとされています。例えばこっそり勝手にお金を渡しても、厳密には相手のものになっているとは言い切れないのです。贈与のつもりで親が子供の口座にお金を振り込んだとして、実はその口座は親が作ったもので子供がそれに気づかず使いもしなかったら、贈与があったとは税務署は認めません。生前贈与による税控除を見込んでこのような行動をとる親がいるそうですが、贈与がなかったことにされて期待した税の控除も受けられず、親が死んだときにその口座のお金にはまるまる相続税がかかります。

匿名の主体との約束はどこまで果たせるか

約束事とすると、匿名での寄付の危うさが見えてこないでしょうか。寄付された側からすると、匿名の人との約束は果たしにくいのです。寄付する側には、暗黙の約束やぼんやりとしながら企図がありながら、受贈側にその準備ができているとは限りません。

お金ならば、いつどのような形で贈られても困らないだろうというのは素朴すぎる考えです。不透明なお金の流れや法に触れかねない資金移動に対して「これは寄付でした。」という言い訳をすることがありますが、それを市民は素朴に許してきたでしょうか?寄付する・されるの関係が上で述べてきたように陽に陰に約束事である以上、双方間の関係性がそこにはあるのですし、周囲からもそこには見えるのです。無関係の人から急に寄付を受けて訝しがるのは、自然な反応です。ヒトというのは、群れの中の関係性や社会性に敏感な生物だと思います。

こうした事情から、投稿者の私が個人的にどこかに寄付をする際は、記名による方式を選んでいます。

TVは演出された舞台のようなもの

  • 「知ってる。それTVで見たよ!」
  • 「この前TVでやってたんだけどXXXは…」

よくあるセリフですね。でもTVの放送内容のうち現実はどのくらいなのでしょうか。人の視覚は動くものに注目するようにできていて、動画やTVの与える印象というのは強烈です。好きな番組に毎週かじりついてしまったり、あるいは番組に合わせて家に帰ったりという経験がある方は少なくないでしょう。

内容を考えるとたいした番組でもないのに、古い人気番組が神格化されて扱われることもよくありますね。 個人の懐かしさを呼び起こす番組の記憶が、TV自身を通して世代を代表するような出来事に昇格されてしまっています。TVの世界がその中身(TV番組)を持ち上げようとするのは当たり前ですが、本来その外の世界の視聴者は、TVというメディアで結びつけられ、集団化してしまうのでしょう。

テーマ選定のフィルター

まず、限られた時間の中で、どうしてそのテーマが選ばれたのか、その時点で現実とTVの世界では全く異なっています。報道番組については、メディア論でよく語られることなので、意識する方もいらっしゃるでしょう。人々が案外受け入れてしまうのは、それ以外の番組です。

例えば、旅番組でQ国が取り上げられたとしましょう。どうしてQ国だったのでしょうか?普通の人はそんなことは考えもしませんが、考えたとしても、

『順繰りにいろいろな国を検討する中で、今回はたまたまQ国になったんだろね。 』

ぐらいの考えにしか至りません。現実は、広告代理店がQ国を選んだという可能性が高いです。例えば各国が大使館を通じて自国の観光PRを広告代理店に依頼することはよくあります。代理店は、TV番組、雑誌、ネットなどに、予算を投じて尺(時間)やページを確保して、Q国が希望する内容の番組や記事を制作します。あるいは内容はQ国で制作済みでそれを流し込むだけのこともあります。

一つの番組にまとまっていれば気づけますが、クイズ番組の中の出題の一つとしてQ国の問題が織り込まれていたら、それが企画段階のフィルターの結果だと気づけるでしょうか?

放送された番組は視聴率を基準に経済効果の金額に換算され、雑誌ページであれば販売数から金額に換算され、ブログ記事であれば閲覧数が金額に換算され、発注元のQ国大使館に報告されます。結果が良ければまた次に仕事がくることでしょう。

制作目的と現場のすれちがい

TV局側が、あるテーマを持って番組をプロデュースしようとしたとしましょう。でも実際にTVカメラを回して、ナレーションを入れて制作するのはTV局とは限りません。報道でない限り、TV制作会社が請け負うことの方が多いでしょう。

TV制作会社の倫理規範というのは、TV局の倫理規範より緩いと考えてよいでしょう。もちろん局側は発注者の責任として高い規範を建前上要求します。しかしTV局と比べて経営基盤が脆弱な制作会社が、その規範を守れる状況にあるとは限りません。

よくある例がインタビューのシーンです。街頭インタビューで一般の人の意見のように語られたのが、実は役者が答えていたとかいう報告は何例もあります。一般人であっても、原稿を渡されたという例もあるようです。なんといっても、女優Qを褒めたければ、1000人インタビューして「Qってステキ」と答えた3人だけを流せばよいのですから、いくらでも操作ができます。局の建前としては、そのようなことがないよう契約で制作会社を縛ります。しかし制作会社の最前線で働く人の証言によれば、時間的経済的労力的条件の中でそれを守り切れません。

海外でのインタビューシーンは一層信用なりません。日本人ならば、日本人同士の日本語の受け答えに微妙な不自然さがあれば気が付きますが、Q国でのQuqa語のやりとりとボディランゲージの不自然さに気付ける人は多くありません。制作会社がいい加減な制作をしても、局ですら気が付けないことがあります。

消えるビルのマジック

大掛かりなマジックで、ビルや豪華客船や自由の女神を数秒で消すというのがあるのをご存知でしょう。大きなビルを映しておいて、カメラの前を幕で隠して数秒ごたくを並べ、幕を上げるとあら不思議、ビルが消えています。

幕で隠す数秒間に、テレビカメラを移動したり、カメラの方向を変えたり、鏡を置いたりするわけですね。

実はこれの応用があらゆる番組で行われています。つまり、カメラに映る範囲には限りがあって隠す幕しか映らず、その周囲で何が起きているのかは映っていないのです。 マジックの現場なら、カメラ移動のレールがあったり、カメラの方角が変えられたり、大きな鏡が設置してあったりするのです。

視聴者も良く知っているのは、ADがカンペを出していることでしょう。これは当たり前すぎて、このカンペまで見せて番組に含めている場合もあるくらいなのですが、クイズ番組や評論風番組でまでこれがあることは忘れられているかもしれません。

ラッパーがTV番組でカンペを読み上げていた実例を私は目撃しています。

タレントのダンスや演技で、指導者がカメラの後ろで見本を踊っていることはよくあります。動物番組では、カメラの脇に動物の調教師が控えていて、演技をさせられている場合もあります。現代ならシェークスピアの大作品でも動物役者で制作できるでしょう。調教された動物の演技を撮り、編集で順番の入れ替えなどをし、動きにCGでの修飾をし、想像力を排除して動物の演技の解釈を強制するために台本に沿った字幕とナレーションを入れれば、それ風になります。

ドミノ倒し挑戦のような時間のかかるものの場合、時間制でギャラが発生するタレントが全ての活動を行っているとは限りません。動物飼育のような24時間管理が必要なものの場合、タレント以外のスタッフが控えていた方がむしろ好ましいでしょう。映像に映らない時間にタレント以外のスタッフがドミノを並べたという実例を知っています。当然スタッフが誤ってドミノを倒してしまうミスが発生することもあり、タレントがその修復を「手伝う」なんてこともあるのが笑いどころです。その番組を放映後に検証したところ、出演タレントのみでドミノを並べたという宣言や、出演者以外は誰もドミノ並べに参加していない旨の表現は、確かにどこにもありませんでした。

(本当にタレントが100%活動にあたっている現場の方が普通でしょう。しかしこれも、労務管理での問題つまりタレントの酷使を含むようであってはなりません。昨今は事務所やTV局とタレント・芸人との契約の不透明さの報道が続いており、疑いがもたれます。)

笑っているのは誰なのか

人間は太古の昔から群れで行動してきました。他の動物の群れよりも、人間の群れの中のコミュニケーションを強固にすることで、体のつくりが多少弱くても、他の動物に対する優位性が確保できたかもしれません。人間を含めた動物には、他の個体と同調して動く仕組みが備わっています。具体的にはミラーニューロンのようなものが発見されたりもしていますね。あくびが伝染したり、目の前の人が笑うと、こっちも可笑しくなったりしますよね。たいして可笑しくなくても、群れの掟なのかこっちも笑った方がいい気がして、笑顔を作らないと居心地が悪くて、結局笑ってしまうこともよくあるでしょう。

TV番組で、音響効果として笑い声が入っていることがよくあります。あれは誰の笑い声でしょうか?収録に本当に一般観覧者(笑い屋さん)を入れて反応の声を真面目に録音していることもあります。でも、既に録音された笑い声を音響ライブラリーからコピーしているとして、それにあなたは気づけるでしょうか?一般人を入れるスペースがないスタジオで収録されているはずの番組に、群衆の笑い声が入っていることはよくあります。気軽なバラエティ番組だと、まれにスタジオ全景や、スタッフいじりのために周囲の映像が映ることがありますが、挿入されている笑い声の雰囲気とは全くつじつまが合わないスタッフ数だったりします。

笑っている人がいないのに笑い声が入っているとすると、そこに笑い声が入っているのは編集した制作者の意図です。人の笑いの習性を利用した制作者に、あなたの笑いは制御されているのかもしれません。

これのもう少し気づきにくい巧みな例が、効果音や背景音楽です。動物の走るシーンの「ピョコピョコ」音は言うまでもなく、報道番組やドキュメンタリー番組でさえ、音楽を挿入することは頻繁に行われています。そこでは、幼稚園児の餅播き映像には素朴な童謡、海峡での軍事衝突には行進曲風のものだったりします。もちろん制作者の意図に沿った音楽が選択され、それにあなたの感情は制御されている可能性があります。

笑っているのは誰なのか笑顔の巻

ニュース番組は誰しもご覧になったことがあるでしょう。ニュース番組の目的は、ニュースを伝えることです。説明には図絵や動画を組み合わせますが、主たる伝達は、アナウンサーの語りに依ることは疑いないでしょう。

ニュース番組は、まずタイトル画面が映り、次に「こんばんは」等のあいさつとともにアナウンサーの姿が大写しになります。でもニュースとアナウンサーの姿は何の関係もないはずです。例えば今日の項目でも大写しにして、アナウンス担当者名はエンドロールに流す程度でよいはずです。大統領の演説のニュースの前に、大統領と同じ大きさでアナウンサーの姿がまず映るのでは、バランスが取れません。このアナウンサー映像の無意味さは、ニュース配信のWeb化によって一層はっきりしました。

アナウンサーはみな美形で、明らかに一般人の集まりからは偏りのある外見の人々です。何の意味があるのでしょう。もちろん視聴者の目を引いて視聴率を上げるためです。人はみな、古代の群れの時代からの癖として、ニュースよりも人に会いたいし人の顔を観たいのだと思います。実際、視聴者が画面のどこを注目するかは、今のWebの視線解析などよりずっと前のTV放送の発祥直後から詳しく研究されて、それを受けて収入を最大化するような構成を求めた結果が現代の番組形式となっています。どの瞬間で視聴率が上がるかも細かく統計を取られていて、誰が出ているシーンが視聴率のタネになるのかは常に分析されています。

昔、とある人気女子アナが、ディレクターに「スカートをはいてこい」と命令され、これを断ってパンツスーツで出演したら番組を外されたと証言しています。今はスタイリストさんがついていてこのような話は起こらないと思いますが、逆に制作側からの統制は服装にまで行き渡っているとも言えるでしょう。

一般の番組でも、番組の進行に合わせてタレントの表情映像が小さく挿入される場合があります。この場面で笑ってほしいとか驚いてほしいとか、制作側の意図に合う映像が挿入され、意図に合わなければ挿入されません。タレントは、自分が映り込むことが仕事なので、期待された表情をすることでしょう。 笑っているのはタレントだというのは事実です。しかし、視聴者の選択でタレントの顔を見ているのではありません。制作側が選択した操作によって、笑顔を見せられているのです。視覚は、聴覚より強い印象を与えることができます。笑い声以上に、笑顔は同調を引き出しやすいのです。 こうした挿入映像が視聴者の同調を引き出す目的であることは、制作側がはっきり認めており、番組上で公に語られたこともあります。何の規定にも違反せず、認めても構わないという判断なのでしょう。

放送作家が語りタレントが喋る

旅番組でどこをめぐるかなどは、あらかじめ取材をしてロケハンを行い、会議で行先を決定した台本通りでなければなりません。ぶらぶら歩いて偶然見つけたお店で撮影交渉をするようなことは、番組の品質と、予算の上からあり得ません。タレントには時間単位でギャラを支払うのですから。

タレントは単に指示を受ける程度かもしれませんが、スタッフは皆台本を見て統制された行動をします。移動を例にとっても、現地へ向かう車を何台準備して、各々の車種とナンバーは何で、各々どのシーンの撮影に誰が乗ってどこまで行くのか、帰りは何時ごろになるのか計画して出かけます。番組制作でなくても、観光旅行でさえ、どうやってそこへ行くかは大きな問題ですよね。

お笑い芸人などのタレントの芸が、タレント本人の芸でない場合もあります。放送作家が台本にそのタレントが言いそうなギャグを書くのです。この芸は誰のものなのでしょうか。放送作家がそのギャグを言ってもウケないし番組にもならないので、放送作家のものとは言えないでしょう。一方、視聴者はタレントの芸だと思い込んでいますが、作ったのが本人でない以上、ある種の錯覚でしかないでしょう。ここまで極端でなくタレント本人の持ちネタであっても、それを出すタイミングを支持するのは、放送作家を始めとする制作側だったりします。オヤクソクということで視聴者が楽しめればいいのかもしれませんが、それにより視聴者の印象が変わるのですから操作の一種には変わりありません。

台本が設定されているのは、ロードムービー風の作りの番組や男女恋愛ものでも同じことです。台本に沿った恋愛って楽いのでしょうか?恋愛小説と同じく、作り物であっても恋愛ものは楽しいから視聴率が取れるのでしょう。局や制作側のよくある言い分は、視聴者も作り物とわかっているから良いというものです。

TVは演出された舞台のようなもの」なのです。

ことは一般人への取材へも及びます。取材というと、テーマに沿って意見を求められるという印象があるかもしれません。実態は、テーマに沿ったストーリーはTV局や制作側で既に決まっており、それに沿った話を強制されたり誘導されたりします。沿わない話は編集で容赦なく切り落とされます。

生放送の番組であっても、事情はなんら変わりません。ほとんどの場合は事前にリハーサルが行われ、リハーサル通りに受け答えをすることが求められます。

タイムマシン編集

TVを見る側は、番組を最初から終わりの方へ向かって順番に見ていきます。では作る方はどうでしょうか。最初から順番に作っていくわけではありません。効率の良い作り方をします。あるいは、視聴率が上がってお金が入りやすい内容を求めます。

時には、同じシーンを繰り返し使ったり、前後を都合よく入れ替えたり、全く違う時に撮影したものを途中に挿入したりします。

食レポ(お店にタレントが行って料理の感想を語る)ものなどでは、お料理のシーンとタレントが食べるシーンを別にとるのは普通のことです。タレントのギャラは時間単位で支払いますから、お店でお料理のアップのシーンを撮っている間にタレントに待機してもらうのではお金がかかり過ぎます。視聴者が見るのは、タレントが箸を動かしたシーンの直後に、別の日に改めてお店で撮影した料理のアップが挿入された映像です。

さらに、食レポ映像にスタジオひな壇で他のタレントがツッコミを入れる場合、ツッコミ芸人が見ている映像と、視聴者のあなたが見ている映像は違うものかもしれません。スタジオ収録に食レポ映像の編集が間に合っている保証などないのですから。ディレクターが「ここの映像は今はありませんけど、後で編集で料理のアップが入ります」とひな壇に説明しているだけということもあります。

ドキュメンタリータッチのもの、例えばタレントが未経験の芸術や音楽やスポーツに挑戦するものの場合も、タレントの実演が引き立つよう様々な編集が行われます。実演の途中に厳しい顔の審査員や指導係の映像を挿入したり、観客のハラハラする顔や驚く顔や応援する様子が挿入されたりします。もちろん視聴者の同調を引き出す効果があることでしょう。でもこれらが本当の時間の流れに沿ったものとは限りません。編集する側からいえば、タレントの演技のタイムラインと審査員の動きのタイムラインを同期させるなんて、誰から頼まれてもいないのに面倒なだけで視聴率上は何の効果もない作業でしょう。 映像の順番を変えるななどどいう要求が、視聴者から出ることはないのです。しかし視聴者は、同期されていると 勝手に根拠なく思い込んでいます。

音楽のように滑らかにつながり流れる映像を見せられると、音楽のように事の流れを人の脳は感じてしまうのでしょう。

TVは廃れても専制は廃れない

ネット動画の時代になり、TVの広告予算は下がる一方、ネット広告の予算の方は増大の一途です。人々のTV視聴時間にしても同様です。

ネット動画は個人による制作が現状多いですが、その分品質のばらつきが大きいですね。倫理面では、例えば報道記者倫理のような宣言は全く見られません。それなのに予算だけは大量に投入され、やりたい放題の状態にあると思います。フェイクニュースも、簡単にできるぶんだけ表に出て一般メディアの話題になる時代です。

VR、ARなどの融合もあっという間に実現し、今後はむしろ現実がネット上の動画などにすり寄っていく場面もあり得ます。twitterやFacebookのアカウントで作り込んだ記事に、ひとつの人格を思わず仮定している人も多いでしょう。人間のゲシュタルト化能力(形式的に過ぎない事物に必ず意味を見出そうとする癖)上避けられないことです。

YouTuberを越えて、VTuberの時代に入っていますし、これに五感センサーとアクチュエーター(人形)が結びつく研究例さえ出始めています。この時代の情報統制、情報専制を考える時、TVの時代に起きた倫理荒廃は参考になると思います。

政府が管理監視下に置きにくい支払い手段

ビットコインのノード

ビットコインのノードをしばらく前から稼働させています。あわせて、ビットコイン上での高速な支払い手段を提供するLightning networkのノードも稼働させました。

ノードを動かすことは、 ビットコイン自体を持つということとは全く意味が違います。 ノードとは、ビットコインの送金をしたり、取引が正当なものかを検証する役割のプログラムのことです。日本円で例えると、銀行を営業することがノードを稼働させることに近い感じです。

このビットコインのノードは、銀行とは違い、金融庁から許可を得たりすることなく誰でも自由に動かしたり止めたりすることができます。そして、ビットコインを持っている必要もありません。

ビットコインの透明性と匿名性

ビットコインは、全ての取引が全世界に公開されています。よくある誤解として、ビットコインには匿名性があるということが言われます。しかし実は、ビットコインの取引は全て台帳に記録され、まるごと全世界に公開されています。口座の残高も厳密にわかります。過去にさかのぼってあらゆる取引が見ることができ、例えば一番最初の取引というのも見ることができます。見るだけならビットコインを持っているいないは関係なく、ビットコインなど触ったことのない人でも見られます。例えば以下のウェブページは、誰かが誰かに2009年に10BTC(ビットコイン)を送ったことを示すものです。

blockchain explorer output
Satoshi Sent 10bitcoin to Hal
https://www.blockchain.com/ja/btc/tx/f4184fc596403b9d638783cf57adfe4c75c605f6356fbc91338530e9831e9e16

ただし、ビットコインの台帳には、銀行口座と違って口座持ち主の情報が全く含まれていません。この取引が誰によるものなのか、この口座が誰のものかは、ビットコイン取引の台帳の情報だけからはわかりません。このことから、ビットコインには 擬匿名性があると言われたりします。

ところが、「私の口座は1Q21という記号のものだから、ここに10BTC振り込んでね。」とメールを送っていたとか、あるいは送金操作の記録がPCに残っていたなど、ビットコイン台帳の外の情報と組み合わせると、いつ誰が誰宛にどのくらいの量送金したかが明らかになってしまうことも多いです。

実際上記の例で言うと、ビットコインの生みの親である 通称Satoshiという人からHal Finneyという大御所(故人)に宛てて送ったものであることがメール等の情報から明らかになっています。

ビットコインを追跡する理由

上で述べたように透明性があるといっても、ビットコインを取引所で売り買いしたり、ビットコインの財布に入れて持っているだけでは、ビットコインの世界でどのような取引を行われているのかはわかりません。この透明性を利用してビットコインの追跡を行う効率的な手段のひとつが、ノードを稼働させることです。銀行の勘定システムには、顧客の日本円の取引が全て見えているのと同じです。

ではなぜビットコインの取引を追跡しようとしているのでしょう。それは、マネーロンダリングとの関係にあります。

警察庁が毎年公表している「 犯罪収益移転防止に関する年次報告書 」によれば、平成30年には仮想通貨取引所経由でマネーロンダリングが疑われた取引が7000件もあったとのことです。決済手段として最も普及している銀行を別格とすれば、保険業界で3000件も行かず、貸金業界で12000件ですから、仮想通貨の一般への浸透具合と比較して考えれば大きい数字に思えます。

ビットコインは政府が運営するものではなく、それどころか特定の運営主体が存在せず、稼働しているノード群の合意(コンセンサス)で運営されています。そして、住所氏名を明らかにしないと銀行口座を開けないのと対照的に、ビットコインの場合は財布(ウォレット)のソフトウェアアプリケーションをインストールすれば、誰でもすぐに送金受け取りができてしまいます。

  • 国際送金は現状では事務手続きが複雑で長い日数を要するが、この手間を省きたい。
  • 銀行や政府など、通貨を管理する側によって正当な送金を拒否・凍結されるような事態を避けたい。
  • 正当な権利としてプライバシーを守りたい。
  • 取引内容を(善意あるいは悪意をもって)秘密にしたい。

といった要求には、ビットコインはかなり適合するのです。 銀行はどこの国でも政府の厳重な管理下にあり、その取引はすべて政府に筒抜けで、時に口座の凍結などの権限が発動されることもあり得るのと比較して下さい。

現金やハサミが使いようで社会貢献にも犯罪にも応用されるのと同様、ビットコインも使いようです。ビットコインがこれから一般に浸透していくのであれば、その浸透具合に合わせた監視はあるべきことと考えます。

当団体のノード

こうした動向を把握すべく、ホワイトバードではビットコインのフルノードを2018年の夏ごろから継続して稼働させています。世界中では現在約1万のノードが稼働していて、うち日本で稼働しているものは数百と考えられます。(クラウドで動かすこともあるので、位置や国は厳密に調べることはできません)

wbird.jp's Bitcoin node location map
wbird.jp’s Bitcoin Node Location
https://bitnodes.earn.com/

さらに2018年秋からwbird.jpというLightningノードを稼働させています。Lightningはビットコインの少額決済を高速で行う技術です。ビットコインを単純に決済に使うと分単位の時間がかかってしまいますが、Lightningでは商店レジで使えるぐらいの高速決済を目指しています。まだ日本では数十のノードしか稼働していないようですが、Lightningを用いた支払いは今年から大きな広がりを見せています。一般の店舗で見かけるにはまだ時間がかかる見通しですが、従来の決済手段に不満や不都合を見つけている層の人にとっては注目の技術のはずです。Lightningは匿名性を一段高める副次的な作用もあります。

ビットコインやLightningの匿名性に関しては、送金過程の解析手段も進化しており、必ずしも利用者が匿名性を得られる状況ではなくなってきています。善意の利用者にとってもプライバシーなどの問題をはらむ状態にあります。この種の技術の常として、いたちごっこが続くことでしょう。その意味でも、この方面の技術動向には着目していきます。

中国版ツイッターweibo微博での地元紹介コンテンツ

中国では、主要サイトや有名アプリのシェアや支配力において、日本や米国とは違って中国独自のものが広がる傾向にあります。

  • 検索のgoogleに対応するのはBaidu
  • ショッピングのAmazonに対してはTMALL
  • SNSのFacebookに対してはWeibo
  • Facebookメッセンジャーや日本で言うLINEに対してはWeChat
  • 支払いはAlipay

という具合です。独自のものが広がる理由については、政府の意向だとか、国全体を囲い込む大規模ファイアウォール「金盾」の存在だとか、文化の違いだとかがあるのだろうと思います。しかし結局、検索・ショッピング・SNS・メッセージング・ペイメントというネット利用の大きな構造自体がそうそう違っているわけではありません。動画の利用の点では、youtube一強の国々が多い中で、個人配信がかなり段階から流行っていた分、利用ユースケースの振れ幅が大きいというのは感じます。

中国や中国人の動向が日本の政治経済文化あらゆる側面にただちに影響を及ぼすのは、爆買いの例を待たないでしょう。諸外国からの観光客の動きによって、日本の文化の価値を初めて認識した(再認識ではなく初めて認識した)という例も多数あると思います。中国の事情を追っておくことは重要なのは当然ですが、考えるに、自分の業界と同業界だけを見るのでは不十分だったり見逃しが多くなってしまうはずです。

ホワイトバードでは、中国の一般の市井の人々の興味や行動パターンを学ぶため、中国版SNSのweiboでのコンテンツ作成プロジェクトを行いました。題材は、自分たちの地域仙台の紹介です。全く日本に来たことのない中国人の読者を想定し、1年以上継続してほぼ毎日、仙台の有名どころ・無名なところ、珍しいところ・全くの日常的風景などを記事にしました。

weibo記事サンプル

日々を記事にする中で、在中国の人から質問があったり、賛(いいね!)がついたりして面白いプロジェクトでありました。成果は以下のところで公開していますので是非ご覧ください。

SNSによる広報活動

ツイッター、Facebookでの広報活動を始めようと思います。動向や宣伝や、もっと気軽な日記のようなものも織り込んでいくつもりです。

案外困るのが、バナー写真、ヘッダー画像をどうするかというところ。個人のページなら趣味や生活にまつわる様々を選び取るところが楽しいのでしょうけれども、団体を代表する画像となると、はて困ります。メンバーの集合写真とかにすればいいのかな。IT関連のサービスや組織だと、いわゆるイメージ画像つまり

  • 巨大都市の高層ビル群の空中写真
  • 点と線がつながってる幾何学模様
  • LEDがピコピコ点滅する何かの装置

みたいなのを選ぶのがベタらしいんですが。

でもITの威力の発揮場所、あるいは情報漏洩の問題発生場所は、別に都市だとか辺境だとか関係ないんですよね。まあ身体性を重んじる我々としては、優れた鍛錬の道具であるバレエの図絵を選びました。

ただこれは自己満足過ぎるでしょう。いい意味かつ悪い意味で差別化にはなるでしょうけど、広報や動向を伝えるメディア用のヘッダーという意味ではあまり成功していない感じです。Webやブログ制作のプロに任せるべき分野でしょう。